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キックスオーナー河里芳宏の経歴紹介





目次
1.幼少期~生い立ち編
2.就職編
3.「テレビチャンピオン」【史上最強のスニーカー王決定戦】
4.丸紅退社からの起業「Kicks」
5.オンライン販売開始~AND1ブーム
6.数々のメディア出演
7.バスケットボール大会
 
★ 「Kicks」店舗名の由来は?
★ 自分のチャレンジはスニーカーがきっかけ。
★ スニーカーコレクションは?
★ 想い出に残る1足は?
★ 壊れていくスニーカーをどう思うか?
 
■ 河里芳宏からのメッセージ




1.幼少期~生い立ち編

幼少時代からスニーカーに興味を持ち小学生高学年には自宅近所のスポーツショップに入り浸りカタログを片っ端から読み漁る。

小学4年生の担任がバスケットボール経験者で放課後にバスケットボールっぽい遊びをはじめる。

中学校に進学し友人の誘いもありバスケットボール部に入部。

本格的にバスケットボールをはじめる。

部員が異常に多く退部者も多いことから1年生の2学期が終わるまでバスケットボールシューズの購入を禁止された環境で冬休みにはじめてバスケットボールシューズを購入。

最初のバスケットボールシューズということでアシックスの1万円のモデルを部活生数名同じので揃える。

成長期もあり足が大きくなると同時にヒザを痛め医者に通う。

バスケットボール経験者の医者から

「エアの入ってるバッシュってええよ」

と奨められるも当時のエア入りバスケットボールシューズは25,000円のAIR FORCE 1 HIGHや17,800円のAIR JORDAN が主力商品で高額過ぎて手が出ず、AIR JORDAN に似た6,800円のA.J.K.O.(キャンバス素材のバスケットボールシューズ)を購入。

中学3年生の夏の練習2回目で破れる。

破れたことを両親に言えず部屋で陰干ししていたとろを父親に見られ購入したスポーツショップに相談へ行くとよく通っていたショップだったので

「破れますよね~、コレ・・・」

と、おっしゃり17,800円のAIR JORDAN と交換してもらう。

はじめて「AIR」の感覚を体験。

1984年LA五輪で観たマイケル・ジョーダンがNBAシカゴ・ブルズで履いてるバスケットボールシューズだと知る。

その頃、来日した米国ケンタッキー大学ワイルドキャッツのバスケットボール中継をテレビで視聴。アメリカのバスケットボールに興味を持つ。

メンバーが履いていたAIR JORDANに似たバスケットボールシューズが気になり洋書などで調べNIKEのDUNK HIGHというバスケットボールシューズだと知る。

受験勉強真っ只中の冬、DUNK HIGHが16,000円で販売しているのを知りおこずかいとお年玉を突っ込み購入。息抜きがてら行くバスケットボールで愛用。

次に熱中したのはNBAというエンターテインメントなバスケットボール。

“SHOWTIME BASKETBALL”と呼ばれたレイカースを観て虜になる。

マジック・ジョンソンのパス、バイロン・スコットのロングシュートに憧れ受験生にもかかわらずノールックパスやビハインドパスを練習する。

高校受験も無事終了して合格祝いとして祖父から何か買ってやる。と言われ迷わずバイロン・スコットが履いていたBIG NIKE HIGHをリクエスト。15,900円と伝えると15,000円貰い900円は自分で出しなさいというパンチ力。躊躇することなくBIG NIKE HIGHを購入。

※オリジナルBIG NIKE HIGH と2016年復刻BIG NIKE HIGH

中学卒業後もバスケットボールをすぐに再開。

高校入学後、バスケットボール部に入部してBIG NIKE HIGHを使用。

追加で購入したNIKE CONVENTION HIGHも併用。

それ以降、NIKEをはじめReebok BB5600 HIGHが日本発売され購入。

※2018年復刻BB5600 HIGHをバスケットボールで着用。懐かしむ。

Reebokのソフトな包み込むフィット感は今でも忘れない。

その他、NIKE AIR DELTA FORCE 、AIR ALPHA FORCE 、AIR ASSAULT HIGHを履き「AIR」のクッショニングでヒザを守り続ける。

 

2.就職編

1990年に高校卒業後、全国展開する「アメリカ屋靴店」に就職。

※社内コンクールで受賞。イベントにも積極的に参加。

それまで欲しくても買えなかったスニーカーを買い集める。

ちなみに初給与で入手したのはNIKE AIR FLIGHT89 ホワイトxブルー 16,000円+税3%だった。

※同時期に購入したAIR FLIGHT89 ブラックxグレー

AIR JORDAN 4と同じソールユニットを履かせたFLIGHTカテゴリーの上位機種。

同時にAIR JORDAN 5 がアメリカで大人気というニュースを知り何度もアメリカ村にあるショップに通い34,800円で購入。

そのAIR JORDAN 5を履いてバスケットボールの試合に出場。

周りから「それ何なん??」と聞かれまくり有頂天になる。

※AJ5は2足購入。1足は普段履きとしていた。

あらゆる手段を使いAIR JORDAN 2、3、4を入手する。
AIR JORDANシリーズはXX3まですべてオリジナルモデルをオンコートで着用。

※歴代AJはほとんどが加水分解。

当時、大阪駅にあった商業施設ギャレ大阪のスニーカーショップ、スポーツショップには仕事が早番だと必ず立ち寄りスタッフさんとも仲良くしていただきスニーカー情報収集とコレクションに拍車がかかる。

※am SPORTSユーザーパンフ

1992年の秋、アメリカ屋靴店から系列会社のスニーカー事業部am SPORTSに転勤辞令が出て晴れてスニーカーショップ勤務となる。

※20周年記念号にはコラムも掲載いただいた。

ここで今まで以上のスニーカーを勉強することとなり各社メーカーとも深く交流を持たせていただくこととなる。

この頃に自分の人生が変わる大きな出来事が起こる。

日本未発売だったNIKE AIR FORCE 1 HIGH(復刻)もコレクション。

ヒザを痛めたころ、25,000円の価格で買えなかったことで一度は履いてみたい憧れのスニーカーであった。

それ以降、AIR FORCE 1 だけで100足以上収集、1995年に発売された人気雑誌「Boon」別冊「メガヒッツ300」で”AIR FORCE 1 コレクター”として白黒ページで紹介。

※取材時に写真撮影いただいたコレクションの一部。

人生初のスニーカーでの取材を受けた。

※数年後にAF1関連の雑誌記事でも取り上げて貰う。

「個人所有」クレジットは私物コレクションスニーカーを貸出しさせていただいた。

そのころNIKE AIR MAX95やAIR JORDAN、Reebok INSTA PUMP FURYなどのハイテクスニーカーが大人気でスニーカーが社会現象を起こす。

3.「テレビチャンピオン」【史上最強のスニーカー王決定戦】

1996年にテレビ東京の人気番組「テレビチャンピオン」【史上最強のスニーカー王決定戦】に出場し優勝。

1997年に関東への転勤命令が出て千葉へ引っ越し。スニーカー300足を持って行き引っ越し業者を困らす。

関東ではam SPORTS千葉店、銀座店で勤務し、アメリカを本拠地にする”The Athlete's Foot”(丸紅)が展開するショップへ転職。

※雑誌「Street Jack」でタイアップコラムページを持たせていただいた。

神宮前店で勤務したくさんのスニーカーマニアと交流を深めたのち池袋店へ転勤。

 

4.丸紅退社からの起業「Kicks」

1999年春に丸紅を退社し大阪へ帰省。

自分でスニーカーショップを始めることを決意。

場所探しは以前、大阪京橋にある京阪モール内のam SPORTSで勤務していたときの常連様が多く居て下さっていたので同じく京橋駅付近で探す。

建築中の商店街内のビルを見つけ不動産屋に飛び込み契約を交わし現在の「Kicks」が同年7月ころから営業開始。

※この看板が「Kicks」の目印。

最初はスニーカーショップとして大阪では入手不可能だったNIKE DUNK(裏ダンク)はじめアメリカ直輸入物スニーカーを販売。

雑誌「Boon」や「Street Jack」「Get On」など多数の媒体で「Kicks」オープンの紹介ページを作っていただいた。

 

5.オンライン販売開始~AND1ブーム

当時はまだ活発では無かったインターネットを利用したオンライン販売も開始。

雑誌での紹介も多くいただいたおかげでご遠方からのご来店も多く日本全国からお足を運んでいただく。

※後に大ブレイクを起こすAND1 TAI CHI MID

アメリカから定期的にスニーカー、アパレルを仕入れ、その中に店舗販売していた「AND1(アンドワン)」が一部のスニーカーファンに人気だったところ、2000年に開催されたNBAスラムダンクコンテストでビンス・カーターが履いたTAI CHI MIDが話題沸騰。

在庫は即日完売。

毎週のように届くアメリカ直輸入のAND1スニーカーが大人気で、その頃からバスケットボールプレーヤーが「Kicks」までお越しいただくようになる。

※AND1関連でもスニーカー誌から取材を多くいただいた。

AND1(当時はオカモトフットウェア)の日本展開時からミーティングに参加させていただき今まで以上にバスケットボール関連の商品の取扱が増加したことでバスケットボールショップへと変更。

※「Kicksオリジナルウェア」も好評販売中。

現在はバスケットボールシューズやウェアの販売はもちろん、チーム様のユニフォームやチームシャツなどのチームウェアオーダーも多く手掛け、ミニバス、中高大学、社会人チーム様の多くとお付き合いをいただく。

6.数々のメディア出演

個人としては、「Kicks」営業後もスニーカーコレクションは増えると同時にスニーカー関連を通して多くの方々と出会いスニーカー知識も得てテレビやラジオ出演依頼を貰う。

「関ジャニのジャニ勉」(関西テレビ)

「V.I.ぴ~」(朝日放送)

「知っとこ」(テレビ大阪)

「カワイイTV」(NHK)

「ノブナガ」(CBC)

「たむらけんじのぶっちゃ~けBar」(eo光)

「笑い飯 哲夫の明るく楽しいニュースシャワー」(MBSラジオ)

Etc

スニーカー関連雑誌 「SNEAKER FUN BOOK」(双葉社)をはじめ個人所有スニーカーを提供。同時に企画ぺージなどのアドバイザーとしても作成に関わる。



新聞各社にも取り上げられる。

7.バスケットボール大会

「Kicks」の店舗営業とは別の企画として2000年ころから「Kicksバスケットボール大会」やチャリティー企画で始まった「Kicks スマイルバスケットボール大会」を開催。

常連様はじめ、バスケットボール未経験のNBAマニアなお方やちびっ子にご参加いただきピックアップゲームを重ね常連様同士の友好の輪を広げていく。

こちらの過去の模様は【Kicks Onlineアーカイブ】からご覧いただけるので超お暇な方はぜひ。

今の「Kicks」があるのはこれまで多くの素晴らしいお客様に支えられ続けているからこそである。

スニーカー、バスケットボールを自分自身の人生において多く学ばしていただき関わってくださった方々には感謝の言葉しか無い。

これからも飽きることなくスニーカーとバスケットボール、スポーツを通じて多くの素晴らしい人たちと出会って行きたいと切に願う。

そのきっかけが「Kicks」であって欲しいのは言わずもがなである。

 

 

 

 

 

★「Kicks」店舗名の由来は?

1997~1998年ころからアメリカでバスケットボールシューズのことを”kicks”と呼ぶスラングが流行り出したことから。

米国バスケットボール雑誌「SLAM」から別冊として発刊されたバスケットボールシューズだけを扱う「KICKS」の1stイシュー。原宿のタワーレコードとワールドスポーツプラザをハシゴしてスニーカー仲間へプレゼントしたのは良い思い出。

★自分のチャレンジはスニーカーがきっかけ。

スニーカーが好きなのはスポーツが好きなこととリンクする。

バスケットボールをするのにバスケットボールシューズが必要なのと同じく、各スポーツには専用のスニーカーが存在する。それらのスニーカーもスポーツを見てるといろいろと小さなことでも興味を持ち出す。本当の意味でのスニーカーのパーツやシステムを体感したい。

1991年ころ。VANSのアウトソールパターンに興味を持ち出しスケートボードを始める。

AIR WALKやPUMA、NIKEなどをスケートボードで愛用。

(まだNIKE SBが無い時代)

1993年、MLBとNFLでプレーしたディオン・サンダースのシグネチャーモデル「AIR DIAMOND TURF」が発売。甲のベルクロパーツの意味を知りたくてアメリカンフットボールチームに加入。主にランニングバックでプレー。

※NIKE BARRAGE D 愛用したスパイク。

1994年、テニスプレーヤー”アンドレ・アガシ”が履くテニスシューズ、NIKE AIR FLAREが超かっこよくて履きたいがためにテニスを始める。

2009年、NIKEがリリースした新しいクッショニングシステム【ルナロン】フォーム。

最初はランニングシューズ「ルナグライド」のみに使用されていたため、【ルナグライド】のシステム性を知りたくマラソンをはじめる。

第一回大阪マラソンに出場。4時間23分で完走。

以降は毎月100キロ以上のランニングが日課となり新しいテクノロジーを搭載した各社ランニングシューズを楽しむ。

※NIKE ZOOM FLY3 はじめ6~7足のランニングシューズをローテーションする。

 

★スニーカーコレクションは?

小学生のころに買ったCONVERSE ALL STAR HIやOX、中学生のころに背伸びして買ったジャックパーセルやスキッドグリップなども保管。

PUソールの加水分解したスニーカーも思い出が多く詰まっているので処分出来ず。

結果、約1200足ほどのスニーカーを所有。

9割がバスケットボールシューズ。

※いわゆるビンテージスニーカーも所有。発売当時に購入したものが時代の経過でビンテージとなっていく。

2006年ころから復刻バスケットボールシューズをメインにコレクション。

バスケットボールをプレーするときに愛用する。

なかでもReebok Pump OmniシリーズとNIKE AIR FLIGHT89はオリジナルリリース当時もアツく履いたモデルだけに今でも使用頻度、コレクション率は高い。

 

 

★想い出に残る1足は?

80年代に大ブレイクを起こしたラップグループ “RUN DMC”

来日した際は当時のアディダスを日本で展開していたデサント社がバックアップ。

ラップもいまいち聴いて理解できない中学生のころ。

RUN DMCがシューレースを通さずアディダスのスニーカーを履いてることが人気との情報が耳に入りそのスニーカーを探し出す。

今でも人気が続く名作スニーカーの”SUPER STAR”である。

RUN DMC人気もあり日本正規販売のSUPER STARはどこも完売で中学生が行動できる範囲で探しに探しまわり難波のスニーカーショップに並んでいたSUPER STARの価格は38,000円。

手を出せる価格では無く一度は諦めた帰り道、自宅から5分ほどにある小さな靴屋を覗くとフランス製のSUPER STARが入荷したところ。パートのおばちゃんが箱からSUPER STARを出してディスプレイするまさにその瞬間に出会え嬉しく購入させていただいた。

確か一万円でお釣り出るお値段。

購入後はRUN DMCな気持ちでシューレースを通さず履くも信号変わるから走ろう。なんて出来ないのが分かりシューレースをして愛用。

今でも処分せず保管中。

 

★壊れていくスニーカーをどう思うか?

よくお客様から「加水分解して履けなくなるの残念だ」とのお言葉をお聞きする。

もちろん自分も大切にしているスニーカーが加水分解してもう履けなくなることは残念で仕方がない。

ただよく考えて欲しい。

同じ年月をスニーカーも過ごしている。自分は白髪も出て来て顔のシワも増える。

気が付けばヒザや腰も痛く冬場のスポーツ前は入念なストレッチが必要不可欠だ。

それでも小さなケガは重ねていく。人間の治癒力は素晴らしく気が付けば痛みは和らぐ。

スニーカーはその治癒力は無く、壊れかけたら壊れたまま。いや、どんどん劣化が進む。

それが自然の原理であり、お気に入りのスニーカーが自分は老いて行くのにスニーカーだけ健康状態良好なのはいかがなものだろうか。

購入した時点で自分の分身であり自分の身内と捉えている。

一緒に老いて行くのがベストなパートナーとしか思えない。

バスケットボール、アメリカンフットボール、テニスと3足のワラジを履いていた若き時代。

今でもバスケットボールとランニングを楽しむ。

このNIKE AIR GO LWPは試合でも大活躍してくれた。レジェンドキックスだがもうソールが剥離してコートでは履けない。それでも一時期の良き思い出を作り上げてくれたパートナー。大切にしたい。

キックスオーナー河里よりメッセージ

今後も必死にスニーカーを愛でる人生を送りたい。

そのためにも「Kicks」で出会う多くの方々から今まで以上の多くのスニーカーライフ、スポーツライフを聞かせていただきたい。

少しでも「Kicks」、私に興味を持ってくださった方々は毎日のようにサイトを覗いていただきたいと願う。

そして安心して外出できる日が来て大阪へお越しの際はぜひ「Kicks」にお立ち寄りいただき共に語り合いましょう。

みなさまとの出会いを楽しみにしております。

 

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